しかし、私たちが本当に学ぶべき西教授の凄さはこれだけではないと考えています。西教授から人生について教わるべき真の理由... それは、西教授自身の「波瀾万丈の人生」そのものにあると考えています。
1941年、真珠湾攻撃の5日後に生まれた西教授は、武家気質が色濃く残る家庭で育ちました。「同級生に殴られたら斬りかかれ!」とアドバイスするような豪快な親の元で、厳しいしつけを受けつつも、末っ子として天真爛漫な子に成長します。
幼少期は「日米大戦」の終結とともに迎え、戦後の食糧不足の中で空腹を耐え忍び生活。この時代、深刻なインフレによる「デノミ」が発生し、かつて裕福だった家庭が一瞬にして貧しくなるという災難にも見舞われました。小学生の頃には、元日本兵である教師から戦争の生々しい話を直接聞き、戦前の日本精神を肌で感じる体験を数多くされました。
そして、1964年、一つの大きな転機を迎えます。当時、海外に行く人などほとんどいない中、西教授は22歳という若さで「アメリカ留学」を断行。しかし、英語が一切話せなかったため、新天地・アメリカで、西教授は大きな挫折を味わうことになります…
名門ワシントン大学大学院での学生生活では、膨大な量の課題に追われる毎日。英語のハンディを負っていた西教授は、厳しい環境の中、血反吐を吐くような努力が必要でした。さらに学費は底をつき、高い学費を稼ぐため、極寒のアラスカ半島の鮭缶詰工場(イクラ製造)でアルバイトを実施。長きにわたる苦学をくぐり抜けた末に、西教授は類まれな才能を開花させ、修士号と博士号(国際政治・教育学博士)を取得されます。
ワシントン大学大学院卒業後には、世界で最も歴史のある米国の広告代理店「J・ウォルター・トンプソン」で、なんと“日本人初のエグゼクティブ”として勤務。20代の新入社員にもかかわらず、某大手企業のコンペを勝ち取るなど、すぐにその才能を発揮されます。あのロレックス社やコダック社の広告を担当し、西先生が手がけた商品は日本でブームにもなったそうです。
また、博士号を取得した直後には、その調査能力を買われ、なんとCIAからスカウトを受けます。「CIAの一員になれば、カネも地位も簡単に手に入る」と誘われたのです。しかし、CIAに入れば、国籍変更が必須で、その瞬間、自分は日本人だということを強烈に実感。そして「私が日本を裏切れるなら、将来、アメリカも裏切る。CIAはそんな人間を雇うべきではない」と断ったそうです。これにはCIAの調査官が感激し、「リアル・ラスト・サムライ」と呼ばれるようになりました。
このように西教授は、単なる歴史学者ではありません。ビジネス界でも貴重な経験を重ね、普通のビジネスマンや学者では到底できないような経験をされて現在まで至ります。しかも、その一つ一つが規格外で豪快なエピソードばかり… 長年蓄積してきた歴史研究の知識だけでなく、豊富な経験や紆余曲折の人生も、今の西教授を形作っている大きな源と言えるでしょう。
現在では「リアル・ラスト・サムライ」の異名を体現するかのように、日本人の誇りを取り戻すため、これまで隠されてきた歴史の真実を暴き続けられています。フーヴァー研究所の公文書館をはじめ、一次史料を隅から隅まで丁寧に調べ上げ、メディアや学校教育が伝えない歴史の真相をとことんまで追求する研究スタイルは、西教授の“確固たる生き方”を如実に表しているでしょう。
まるで「歴史上の偉人」のような規格外の人生を歩まれた西教授。その人生経験から生まれる知恵や考え方こそ、他の人とは一線を画す魅力があり、価値があるのではないでしょうか。西教授から生き方について学ぶことで、テレビや新聞、YouTubeなどでは手に入らない「人生に役立つ叡智」が手に入ることでしょう。