東大卒。朝日新聞記者。退社後は、翻訳家・軍事評論家として活動。また40冊以上の著書を残したベストセラー作家。
1906年、日露戦争の翌年、東京の裕福な家庭に5男として生まれる。5歳のときに父を亡くす。
東京帝国大学法学部を卒業時、 “ふつうなら官僚になるのが王道だが、俺は向かない”と自覚し、朝日新聞社に入社。
転機は、1940年・34歳の時に訪れる。
すでに日中戦争、ヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていた中、日米関係の取材のため、アメリカに赴任。
翌年、日本軍がハワイ真珠湾を奇襲。その日からアメリカはただの赴任先から敵国へと一変する。米国政府に、諜報活動・スパイを疑われた中野は、FBIに捕まる。連行された先は収容所だった。そこから交換船で帰国するまでの約9ヶ月間をまとめた手記が「祖国に還える」
帰国後は、朝日新聞社の戦時研究室でアメリカ研究を任され、仕事に没頭。
“これまで蓄えたものをアウトプットする時期が来た” 占領下の1948年・42歳の時、18年間勤めた同社を退社。 執筆活動を始める。5000点以上の戦争関連史料を独力で収集し、自宅に図書館を作った。(戦争文庫と命名)
1963年57歳の時、心筋梗塞を起こし入院。闘病しながら執筆活動を続けるも、1972年に再発し急逝。享年66歳。
なお、日本で諜報活動をしていたソ連のスパイ「リヒャルト・ゾルゲ」(007の主人公ジェームズ・ボンドのモデルの一人と言われる)と非常に仲が良く、「懇意だった」という言葉を残している。
主な著書
『警鐘 敵国アメリカの実相と我等の覚悟』起山房、1943年
『敵国アメリカ通信 開戦前の巻』東洋社、1943年
『続・敵国アメリカ通信 開戦後の巻』東洋社、1944年
『敵国アメリカの戦争宣伝』新太陽社、1945年
『デモクラシーの勝利』洋洋社〈新日本建設叢書〉、1946年
『アメリカ新聞と新聞記者』星林社、1947年
『アメリカの暗黒 - 米国を衝動した大事件』角川書店、1954年